宗教2世の弟へ。「助けたい」より「一緒に生きよう」と伝えた日
- yutaromaru111
- 2025年10月22日
- 読了時間: 4分
弟にLINEを送った。
「手紙を送った」って書くと聞こえはいいけど、ほんとはただのLINEだ。
それでも、送信ボタンを押すまでにめちゃくちゃ時間がかかった。
何を書いても嘘っぽくなる気がして。
でも気づいたら指が動いてた。
たったひとこと、「一緒に生きよう」って。
千葉で再会した弟。宗教2世として生きてきた兄弟の現実

この前、千葉の病院まで弟に会いに行った。
リハビリを頑張ってる姿を見て、胸がぎゅっとなった。身体は少しづつ回復してる。でも、心はまだずっと戦ってる。
昼はまだいいけど、夜になると精神状態が落ちるらしい。
たった30分の面会だったけど、帰り際、弟が涙目でハグしてきた。見送った後も、ずっと泣いていたらしい。
帰りの新幹線の中で、ずっと考えてた。
「おれ、なんもできなかったな」そう思いながらも、なんか心の奥で“これでよかった”とも感じてた。あの30分は、たぶん“兄として向き合えた時間”だったんだと思う。
子どもの頃に感じた「自由のなさ」。宗教2世としての原体験

俺たち兄弟は、いわゆる宗教2世。統一教会を信仰する家庭に生まれた。日曜日は教会。友達の家で遊ぶこと、自分がしたいことをすることは許されなかった。
今でも覚えてる。
ある日、友達に「日曜サッカー教室行こうぜ!」って誘われた。めちゃくちゃ行きたかった。
家に帰り、俺はオドオドしながら母に聞いた。「ねぇ、日曜日にサッカー教室…ダメだよね?」声が震えてた。
「ダメに決まってるでしょ。神様が悲しむよ」
そう言われた瞬間、胸のワクワクがしゅるっとしぼんでいった。“あぁ、やっぱりだめか”って。
その日から、“やりたい”って気持ちを表に出すのが怖くなった。
親への結婚報告で感じた「認められない」痛み
7年前、結婚の報告を親にしたときもそう。
もう30歳になる大人なのに、親への報告で、あの時だけ緊張したのを覚えてる。
「そうなの。」
返ってきた言葉はそれだけ。
ほんとは「おめでとう」って言ってほしかった。
でも、統一教会では教祖が決めた相手と結婚するのが“正しい”とされてた。だから、俺の結婚は“間違い”だったんだと思う。
その時、横にいた弟が、「それだけ?」って親に怒っていた。なんだか救われた気がした。
あれは、たぶん誰かが初めて“(宗教2世の)俺の味方をしてくれた瞬間”だった。
「助ける」より「一緒に生きる」。兄として見つけた答え
弟のことを思い出すたび、「おれもあいつも、よく生きてるよな」って思う。
自傷行為の話を聞いた時は、正直、何も考えられなかった。
“助けなきゃ”って焦る自分と、“何もできない”って無力感がごちゃごちゃになってた。
でも、少し冷静になって気づいた。俺がやるべきなのは「助ける」じゃなく、「一緒に生きる」ことなんだって。
あの日少し長いLINEを送ったのは、弟を救うためじゃなくて、「俺もいっしょに生きたい」って、言語化ができたから。ただそれだけだった。

弟の返信「宝物にします」。言葉以上のつながり
返信はすぐに来た。
「ありがとう。宝物にします。」
それだけ。たぶん、あいつも言葉を選んだと思う。でもその一言だけで、十分すぎた。なんかもう、言葉以上に“伝わった”気がした
家族との向き合い方に「正解」なんてない
兄として、父として、男として、いまだに「正しい向き合い方」なんてわからない。ただ、あのとき親に言われた「そうなの。」を、いまの俺はこう言い換えたい。
結婚おめでとう。自分で選ぶことができたんだね。その道はきっと明るいよ。君ならきっとできる。
親を責めない。けれど次の世代には同じ思いをさせない
俺たちの親も、きっと苦しかった。信じることでしか生きられなかったんだと思う。だからもう、責めるつもりはない。でも、次の世代には同じ思いをさせたくない。“自分で選ぶ”っていう自由を、ちゃんと残していきたい。
苦しんできた誰かへ
この文章は、同じように家族や信仰との関係で苦しんできた誰かに届いたら嬉しいです。あなたの選んだ道が、どうか少しでも明るく見えますように。




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