自分で選ぶって、こんなにむずかしい。父として、子どもに伝えたいこと
- yutaromaru111
- 2025年10月22日
- 読了時間: 4分

自分で選ぶことの意味。父として、子どもたちに伝えたいこと
この前、弟にLINEを送った。
「一緒に生きよう」ってたった一言が伝えたくて。
宗教2世として育った俺たちは、ずっと“自分で選ぶ”ってことができなかった。だからこそ今、自分の子どもたちには「選べる自由」を持ってほしいと思ってる。
宗教2世として育った少年時代。自由より「正しさ」が優先だった
俺が子どもの頃は、何かを選ぶ前に“正しいかどうか”を考えなきゃいけなかった。
親が信じる宗教が絶対で、日曜日は教会。友達と遊びたい気持ちより、神様を悲しませない方が大事だった。
今でも覚えてる。友達に「日曜サッカー教室行こうぜ!」って誘われたときのこと。
行きたくて仕方なかったのに、俺はオドオドしながら母に聞いた。
「ねぇ、日曜日にサッカー教室…ダメだよね?」声が小さく震えてた。
「ダメに決まってるでしょ。神様が悲しむよ」
その一言で、胸のワクワクが一瞬で消えた。
“あぁ、やっぱりダメなんだ”そう思ったときから、自分の気持ちを表に出すのが怖くなった。
親に結婚の報告をしたときの、あの“そうなの。”
7年前、結婚の報告を親にしたときも、返ってきた言葉はたったひとつ。
「そうなの。」
本当は「おめでとう」って言ってほしかった。
でも、統一教会では教祖が決めた相手と結婚するのが“正しい”とされてた。だから、俺が自分で選んだ結婚は“間違い”だったんだろう。
正直、悲しかった。
けど、今思えばあの瞬間こそ、
自分が初めて自分の人生を自分で選んだ日だったんだと思う。
子どもには「自分で決める経験」をしてほしい
俺はいま、二人の子どもの父親として生きてる。
彼らには「自分で選べる」人になってほしい。
でもそれは、“なんでも自由にしていい”って意味じゃない。大切なのは、“自分の心で決める経験”を積むこと。
たとえば習いごとを決めるとき。
親の頭の中には「将来のため」とか「続けられそうか」とか、いろんな“条件”が浮かぶ。
でも、子どもが「やってみたい!」って言った瞬間の目の輝き。あれを見たら、それが一番の理由でいいんだと思う。
子どもが失敗しても、やめてもいい。それでも「お前が選んだ道なら大丈夫だよ」って言える親でありたい。たぶんそれが、「家族に丁寧に向き合う」ってことなんだと思う。

見守るって、けっこう難しい
見守るって言葉はきれいだけど、正直、現実はむずかしい。
「その選択で大丈夫?」って言いたくなるし、「こっちの方がいいんじゃない?」って口出したくなる。
でも、それをぐっと飲み込む勇気。信じて待つ覚悟。それが“親の修行”なんだと思う。
俺はまだまだ修行中。見守るなんて言いながら、つい長男に「なんでそんなことしたの?」って言って、あとで反省してる(笑)
「自分で選ぶ」には不安よりも希望がある
自分で選ぶって、不安もある。失敗したらどうしよう、とか、うまくいくかな、とか。でも同時に、それは希望の証でもあると思う。
他人に決められた道じゃなく、自分で決めた道には責任も、悔しさも、そして“納得”がある。俺はそれを、子どもたちにも味わってほしい。
あの時、親に言われなかった言葉を、今の俺が伝えたい
結婚おめでとう。自分で選ぶことができたんだね。その道はきっと明るいよ。君ならきっとできる。
この言葉は、過去の俺へのメッセージでもあり、未来の子どもたちへの願いでもある。

苦しみの中から見つけた「カゾクキカク」の原点
カゾクキカクのミッションは、
仕事に真剣に、家族に丁寧に、自分の人生に本気で向き合う。
家族に丁寧に向き合うって、何かを“やってあげること”じゃない。“信じて待つこと”“見守ること”。子どもが「大人っていいな」と思えるように、俺たちが自分の人生を本気で生きることだと思う。
同じように悩んでいる親へ
この文章は、同じように家族や信仰との関係で悩んできた親へ向けて書きました。あなたの子どもが、自分で選んだ道を歩けますように。そしてあなた自身も、自分で選んだ人生を歩けますように。




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