KITEN長良川で川遊び|転んで泣いた5歳が、自分でまた川上へ向かった日
水は、思っていたより冷たかった。
そして、流れもかなり強い。
5歳になったばかりの長男が、川の中の石に足をかける。
「パパ、一緒にあっちまで行ってみよ!」
長男が指さしたのは、少し川上の方だった。
大丈夫かな。正直、ちょっと思った。
でも本人は、そんな僕の心配なんて知らない。石から石へ。ひとつずつ足を運んでいく。
少し前までなら「パパ、だっこ」と言っていたような場所を、今日は自分から進んでいる。後ろ姿を見ながら、僕もついていった。
この日、家族4人で長良川のキャンプ場KITEN(kitennagara.jp)に来ていた。名古屋から車で約60分。子ども二人を連れてのお出かけとしては、この距離がありがたい。
キャンプ場では、バーベキューもした。ここのお肉が、とにかくおいしかった。
うちの長男は、バーベキューをしても、それほど肉を食べるタイプじゃない。ところが、この日は違った。
「おいしい!」
そう言って、ばくばく食べる。ほお。こんなに食べるのか。それだけでも、ちょっとした発見だった。
でも、この日、僕の中に一番残ったのは、川での出来事だった。
ちょっと前なら、こんなところまで来ただろうか
キャンプ場の中には、川遊びができる場所があった。
水は冷たい。流れもそれなりに速い。足元には、大小さまざまな石がある。大人でも、少し慎重になる。
でも長男は、自分から動き出した。
「パパ、一緒にあっちまで行ってみよ!」
これが、うれしかった。僕が「行ってみる?」と誘ったわけじゃない。
子どもを育てていると、つい「できたか、できなかったか」を見てしまう。自転車に乗れた。泳げた。文字が書けた、読めた。
でも、その前にある「やってみようかな」という気持ちも、立派な成長なんだと思う。
長男は、一歩ずつ川を上っていった。僕は少し後ろからついていった。
転ばせないことが、親の役目だと思っていた
途中。長男が、足をかけた岩ですべった。
ザブン。服が、びしょびしょになった。
一瞬、何が起きたのか分からなかったのだと思う。泣いた。
僕もすぐに近づいた。「大丈夫?」と、だきしめる。冷たい。服も濡れている。
こわかったよな。びっくりしたよな。
正直、僕の中にも「ああ、やっぱり危なかったかな」という気持ちが少し出た。
できれば、痛い思いはしてほしくない。泣かせたくない。親として、そう思ってしまうこともある。
でも、子どもの人生から、全部の痛い経験を取り除くことなんて、できないし、する必要もない。
むしろ大事なのは、転ばないことより、痛い思いをしたあとにどうするかだ。
泣き止ませたのは、パパじゃなかった
長男をだきしめながら、僕は少し待った。
「もうやめる?」とは聞かなかった。「頑張れ」とも言わなかった。
ただ、こわかったね。大丈夫だよ。そんな気持ちで、しばらくそばにいた。
すると、少し泣いたあと、長男が自分から動いた。また、川上の方へ。
僕は、少し驚いた。行くんだ、もう一回。さっきすべったばかりなのに。
パパが勇気づけたわけではない。説得したわけでもない。ごほうびを用意したわけでもない。
5歳児の中で、何かが切り替わった。もう一度進むことを、自分で決めた。
その姿を見ながら、僕は思った。
子どもが困ったとき、親はすぐ「立ち直らせてあげなきゃ」と思う。でも、子どもには、自分で戻ってくる力もあるのかもしれない。
親にできるのは、その力が出てくるまで、そばにいることかもしれない。
「あそこから、ここまでこれたぞ〜」
そして、川上まで来た。長男が振り返る。スタートした場所が、向こうに見える。長男は、少しほこらしそうに言った。
その言葉を聞いた瞬間、僕の中に、不思議な感覚があった。
(あ、この子は、もう大丈夫だな。)
なんの根拠もない。これからも、泣くだろう。失敗もする。「できない!」と言う日だって、いくらでもあると思う。
でも、なんだか確かに思った。この子は、きっと大丈夫だな、と。
僕が感じた「大丈夫」は、何でも一人でできる、という意味ではない。転ばない子になった、という意味でもない。この日だって、しっかり転んでいる。びしょびしょになって、しっかり泣いている。
でも、挑戦してみようと思った。失敗した。泣いた。そして、また自分から進んだ。
最後には、振り返って、「あそこから、ここまでこれた」と、自分の歩いてきた道を確認ができた。
その一連の姿を見て、僕は、この子の中に、親が思っている以上の力が育っているんだと感じた。
子育ては、「してあげる」から「信じる」へ変わっていくのかもしれない
小さい頃は、何でも親がやる。だっこする。食べさせる。着替えさせる。危ないものから守る。
だから、親の頭の中には、いつの間にか「この子には、自分がいないと」という感覚ができてしまう。
もちろん、5歳だってまだまだ親は必要だ。でも、少しずつ、親の役割も変わっていくのかもしれない。
「転ばないようにしてあげる」から、「転んだときに戻ってこられる場所になる」へ。
「失敗しない方法を教える」から、「失敗したあと、どうするかを見守る」へ。
「大丈夫にしてあげる」から、「この子なら、きっと大丈夫」と信じる、へ。
その変化は、親にとって、少しさみしくて、でも、すごくうれしい。
僕はまた、必要以上に口を出すと思う。それでも、今日のことは、覚えておきたい。
冷たい川の中で、すべって、泣いて、それでもまた歩き出した背中。そして、川上から振り返って、「あそこから、ここまでこれたぞ!」と言った顔。
子どもって、親が思っているより、ちゃんと育っている。手を出す前に、ほんの少しだけ待ってみる。その先で、今まで知らなかった子どもの姿に、出会えることがある。
あなたが最近、「この子なら大丈夫かも」と感じたのは、どんな瞬間でしたか?




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