「買ってあげる」でも「ダメ」でもない|朝7時、ローソンにパイナップルを買いに行った話
「パイナップル買ってきてよーー!!!」
朝7時。長男の叫び声が、家中に響く。
早いし。うるさいし。そもそも、店やってねーし。
平日の朝。これから朝ごはんを食べて、着替えて、保育園に行かなければならない。そんな時間に我が家で、「パイナップル事変」が勃発した。
次男のお皿には8かけら
この日の朝ごはんに、パイナップルが出ていた。長男の分は2かけら。ペロリと食べた。おいしかったらしい。
「もっと食べたい!」
でも、もうない。
「もうないよ」
そう伝えた、その直後だった。次男のお皿のパイナップルが、長男の目に入った。そこには、パイナップルが8かけらくらいあった。
ただし、量が多いわけではない。口の小さい次男が安全に食べられるよう、ママが細かく切ってくれていたのだ。元をたどれば、長男と同じ2かけら。
でも、そんな事情を冷静に分析できるほど、朝7時の長男は大人ではない。
「ぼくももっとパイナップルたべたい!!!」
スイッチが入った。次男の方が多い。ずるい。もっと食べたい。なんで僕にはないんだ。そんな気持ちが全部混ざったのだと思う。
パイナップル一つで、人間はここまで感情的になれるのか?というくらい泣いている。
ママはスルー。僕は、少し迷っていた。ここで買いに行ったら、「あまやかし」なのか?
買いに行くか、押し切るか
頭の中に、二つの選択肢が浮かんだ。
一つは、「もうないものはない。保育園行くよ」と、そのまま押し切る。もちろん、それもあり。王道。ただ、このままいけば「保育園行きたくない!!!」まで発展する未来が、かなり鮮明に見えた。
もう一つは、パイナップルを買いに行くこと。コンビニなら、この時間でも開いている。売っているかは知らない。でも、もしかしたらあるかもしれない。
ただ、そこでまた一つ、僕の中に問いが出てきた。それって、あまやかしすぎじゃない?
泣けば買ってもらえる。騒げば大人が動いてくれる。もしそんな経験になるなら、なんか違う気がする。それに、僕が仕事を後回しにして、自分の準備を全部犠牲にして、「仕方ないな……」と不機嫌になりながら買いに行くのも違う。
でも、この日は少し余裕があった。追う仕事はある。でも、追われている仕事はない。時間は、まだ朝7時。手順さえちゃんと踏めば、誰かが無理をせずに行ける気がした。
そこで僕は、「買ってあげる」ではなく、「こんな方法ならできるよ」と提示してみることにした。
「うー? パイナップル食べたかったんだね」
まだ泣いている長男に言った。
「パパに考えがあるから、気持ちが落ち着いたらこっちおいで?」
それ以上は言わなかった。泣き止ませようともしなかった。説得もしなかった。人の話を聞ける状態になるかどうかは、本人に任せよう。僕はその間、仕事をすることにした。
「パパ、かんがえってなに?」
しばらくして、少し落ち着いた長男が、仕事部屋にやってきた。
「パパ、かんがえってなに?」
来たな。
「うん。二つ考えがあるよ」
僕は話した。
「一つ。こんな朝早いけど、パイナップルが売ってる店があるかもしれない」
長男の目が変わった。
「ハッ。わかった!イオン?!」
「イオンはやってない。コンビニってやつだ」
「ローソン??!!」
「そうだね。うちの近くのローソン。もしかしたらあるかも。でも、あるかどうかは分からない。ないかもしれない」
「いきたい!」
「行きたいよね。で、もう一つ考えがある」
長男が聞く。
「もしコンビニに行って、パイナップルを買って、家で食べるなら、もう時間があんまりない」
だから、
「コンビニに行く前に、残りの朝ごはんを食べて、お着替えして、保育園の準備をする。やることをやってからだったら、パパ、一緒にコンビニ行けるよ。どうする?」
長男は、少し考えて、言った。
「やってみる!」
「ダメ」でも「いいよ」でもない、第三の選択肢
そこからの長男は早かった。残りの朝ごはんを食べ、光の速さで着替え、保育園の準備をした。
そして二人でローソンへ。売り場を探す。
……あった。パイナップル。
僕以上に長男が喜んでいた。家に戻っても、保育園へ出発するまで、まだ時間が残っていた。満足そうにパイナップルを食べる長男。僕はその間、仕事に戻った。
今回僕がやったことは、【泣いた子どもの要求に応えた】だけではなかったのかもしれない。
子どもの感情を認めながら、その後どう行動するかを一緒に考える。「感情コーチング」と呼ばれる関わり方で、研究でも、こうした親の関わりと幼児の感情調整や行動との関連が報告されている。
もちろん、「気持ちを受け止めれば、子どもは必ず言うことを聞く」なんて単純な話ではない。実際、「パイナップル食べたかったんだね」と言った瞬間に、長男が「そうなんだよパパ。僕の気持ちを理解してくれてありがとう」なんて言うわけもない。普通に泣き続けていた。笑
でも今回、彼の気持ちそのものには、「そんなことで泣かないの」とは言わなかった。食べたいんだね。それは分かった。じゃあ、食べたいならどうするかは、一緒に考えよう。そんな関わり方だった気がする。
「自分で決める余白」があると、子どもは動くことがある
もう一つ、今回おもしろかったのが、僕が長男に「早く着替えなさい!」とは、一度も言っていないことだ。提示したのは、「準備ができたら行けるよ」という条件だけ。やるかどうかは、長男が決めた。
幼児期の研究では、親が子どもの自律性を支える関わりをすることと、子どもの自律的な行動や自己調整能力との関連が報告されている。
ここでいう自律性って、「子どもの好きにさせる」ことではない。大人が枠組みをつくりつつ、その中で「あなたはどうする?」と選べる余白を残すことなのだと思う。
今回なら、「パイナップル買いに行くよ!」でも、「絶対行かない!」でもなく、「こうすれば行けるかもしれない。どうする?」だった。長男は、「やってみる」を選んだ。
そうすると、親にやらされているはずの朝ごはんも、着替えも、保育園の準備も、いつの間にか、自分がパイナップルを食べるためにやることになった。
これは、子どもだけじゃなく、大人も同じなのかもしれない。人からやれと言われるより、自分で決めたことの方が、ちょっと頑張れる。
じゃあ、毎回コンビニに行けばいいのか
もちろん、そんな話ではない。もしこれが朝8時25分だったら、僕はたぶん行っていない。仕事に追われていたら?しめ切り直前の仕事があったら?行かなかったと思う。僕自身がイライラしていて、無理して行けば子どもに当たりそうなら、それも違う。
「子どもの気持ちを尊重する」と言うと、どうしても、子どもの願いをなるべく叶えてあげることのように聞こえる。でも今回感じたのは、そうではないということ。
親の事情も、子どもの事情も、両方テーブルに載せて考える。今日は行ける。今日は行けない。同じ要求でも、答えが違っていい。
大切なのは、親が自分を犠牲にしてまで叶えることではなく、そのときの家族にとって、無理のない方法を探すことなのかもしれない。
パイナップルの容器で作ったプレゼント
パイナップルを食べ終えた長男が、しばらくして僕の仕事部屋に来た。
「パパー」
手に何か持っている。
「これ、プレゼント」
見ると、さっき買ったパイナップルが入っていた容器を使って、工作を作っていた。そこには、「パパありがとう」と書いてあった。
なんだか、うれしかった。
パイナップルを買ってもらったから、ありがとう。もちろん、それもあると思う。でも僕には、少しだけ、違う言葉にも聞こえた。「僕の気持ちを分かってくれて、ありがとう」。そんなふうにも感じた。本当のところは、長男にしか分からないけれど。
子どもが泣き叫んでいると、親はつい「どうやって泣き止むのか」を考えてしまう。僕もそうだ。時間のない朝なら、なおさら。
でも今回、泣いていること自体は解決しなくてもよかった。「食べたかったんだね」と伝えて、話を聞けるようになるまで待つ。そして、「じゃあ、どうする?」を一緒に考える。
子どもの感情を、親が全部消してあげなくてもいい。子どもの願いを、全部叶えてあげなくてもいい。でも、その気持ちを持ったまま、次にどうするか?を一緒に考えることはできる。
朝7時。パイナップルから始まった大騒ぎ。あの朝、長男が手に入れたのは、パイナップルだけじゃなかったのかもしれない。
そして僕も、「あまやかす」と「我慢させる」の間には、まだまだいろんな関わり方があるんだと、少しだけ教えてもらった。
あなたなら、子どもの「やりたい」に、どんな【できる方法】を一緒に考えますか?
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