子どもに「だいっきらい」と言われたら離れていい?夜のコメダ珈琲で、2歳と過ごした数分間
「パパ、だいっきらい!あっちいって!!!」
2歳の次男が、店中に響くような声で叫んだ。
顔を真っ赤にして、涙をぼろぼろこぼしていた。
周りには、ほかのお客さんも店員さんもいる。
恥ずかしいと思う場面なのかもしれない。
でもそのとき、僕の中に浮かんだのは別の気持ちだった。
ああ、次男に悪いことをしたなあ。
楽しかったはずの夜
その日は、じーじと僕たち家族4人(4歳の長男、2歳の次男、妻、僕)で、近所のコメダ珈琲へ行った。
じーじと食事をするのは久しぶり。
次男は、会えたのがよほどうれしかったのだろう。
いつも以上にテンションが高かった。
ソファ席で靴を脱ぎ、ぴょんぴょん跳ねる。
「おーち、座って食べようか?」
「静かにできたら、かっこいいね」
なるべくやさしく伝えてみる。
「やあだー」
まったく効かない。
夜のコメダ珈琲。店内に人は少なかったけれど、誰もいないわけではない。
周りのお客さんや、店員さんに迷惑をかけたくない。
少しずつ、僕の中にイライラが生まれていた。
そのときだった。
ばちゃ。
次男の手が当たり、机の上の水がこぼれた。
隣にいた僕の服は、びしょびしょになった。
「あー、もう!何やってんの!!」
言った瞬間に自分で分かった。
声が大きかった。
注意したというより、怒りをぶつけてしまった。
しつけたい気持ちの中に、誰のためがあったのか
もちろん、店の中で跳びはねていいわけではない。
水をこぼしても、何も伝えなくていいわけでもない。
親として、止めなければならないことはある。
ただ、あのときの僕は、誰のために、何を伝えたかったのだろう?
外出先で子どもが騒ぐと、親の頭にはいくつもの声が流れ込んでくる。
迷惑をかけてはいけない。
ちゃんと座らせなければ。
親が注意しなければ。
早く静かにさせなければ。
それ自体は、必要なことだ。
でも「早く何とかしなければ」が強くなりすぎると、目の前の子どもが何を感じているのか、見えなくなることがある。
次男は、じーじに会えてうれしかった。
気持ちが高ぶって、身体まで動いていた。
そこへ突然、パパの大きな声が飛んできた。
次男から見れば、楽しかった世界が急にこわれたように感じたかもしれない。
笑いに変わるはずだった
僕のひと言で、テーブルの空気が変わった。
それを感じたじーじは、場をなごませようとしてくれたのだと思う。
少し怒ったような顔マネをしながら、次男に向かってベロベロベーをした。
笑わせようとしたのだろう。
けれど、すでに心がいっぱいだった次男には届かなかった。
「じーじ、イジワル!」
次男は泣きながら怒った。
そして、この原因を作ったのはパパだと言わんばかりに、僕のほうを向いた。
「パパ、だいっきらい!!」
「もうあっちいって!!!」
不思議と腹は立たなかった。
たぶん僕自身の伝え方が、次男をここまで追い込んでしまったと分かっていたからだ。
「だいっきらい」は、今の気持ち
2歳の「だいっきらい」は、親子関係の最終判決ではない。
「パパをこれからずっと嫌いです」という宣言でもない。
ぼくは、
怖かった。
悲しかった。
怒っている。
まだうまく整理できない感情が、「だいっきらい」に全部詰め込まれているのだろう。
それでも、わが子から言われれば軽く傷つく。笑
「そんなこと言わないの」と、言葉を訂正したくもなる。
「パパだって怒りたくて怒ったんじゃないよ」と、説明したくもなる。
でも、次男が求めていたのは説明ではない。
「もうあっちいって」
その言葉どおり、パパが見えなくなること。
こうなると、何を話しても届かない。
近くにいようとするほど、次男の泣き声は大きくなる。
僕は少し離れたところで、何分か待った。
離れることも、関わること
子どもが泣いていると、親は何とかして泣きやませようとする。
だきしめる。
謝る。
理由を説明する。
気持ちを別のものへ向けようとする。
でも、子どもが「離れて」と伝えているときには、本当に離れたほうがいいこともある。
それは、突き放すこととは違う。
相手が落ち着くための距離を尊重すること。
数分後、席へ戻ると次男はようやく落ち着いていた。
僕がいない間、じーじやママとの時間の中で、気持ちを戻していったのだと思う。
まずは安全な距離をつくり、波が過ぎるのを待つ。
明日からできることがあるとすれば、子どもの感情が爆発した瞬間に正しいことを教え切ろうとせず、少し待つことなのかもしれない。
怒ってしまったあとに、できること
あの場面で、僕はもっと冷静に対応できたかもしれない。
水がこぼれた瞬間、「冷たい!まずふこう」と言えたかもしれない。
次男を一度、店の外へ連れ出す方法もあった。
でも実際の僕は、「何やってんの!」と感情的になって怒った。
自分がやったことを、なかったことにはできない。
だからこそ、大切なのは、感情的にならない完璧な親になることではなく、そのあとどう戻るかだと思う。
「あのとき、大きな声を出してごめんね」
「お水がかかって、パパもびっくりしたんだ」
「でも、おーちが嫌いだから怒ったんじゃないよ」
親が自分の行動について謝ることは、立場を弱くすることではない。
失敗しても、関係は結び直せる。
それを子どもと一緒に経験すること。
子どもは、親の言うことを何でも聞くわけではない。
親も、いつでもやさしくいられるわけではない。
ぶつかり、離れ、落ち着いて、また近づく。
家族は、そんなことを繰り返しながら関係をつくっていく。
あの言葉の奥にあったもの
「パパ、だいっきらい!!」
言葉だけを切り取れば、悲しい出来事だ。笑
でも、その奥には、次男が自分の感情を必死に伝える姿があった。
怖かった。
腹が立った。
今は離れてほしい。
2歳なりの言葉で、全部伝えてくれた。
僕はその気持ちを最初から受け止められたわけではない。
余裕を失い、声を荒らげ、楽しかった空気を変えてしまった。
それでも、次男が求めた距離を取ることはできた。
完璧ではなかったけれど、途中からやり直すことはできた。
服にかかった水は乾く。
店内に響いた泣き声も、いつか止まる。
そして、怒りで離れてしまった心も、少しずつ戻ってくる。
親子だからいつも分かり合えるのではなく、分かり合えなかったあとに、何度でも戻ろうとすること。
それが家族なのかもしれない。
あなたは子どもとぶつかったあと、どんなふうに関係を結び直していますか?
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