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子ども・子育て支援金の負担額はいくら?支えられる側になったパパの本音【4歳・2歳のパパ】

yutaromaru111
7月14日
読了時間: 4分

更新日:8月30日

保険料の通知を見て、「あれ?」と思ったことはありませんか。2026年に始まった「子ども・子育て支援金制度」で、負担が少しだけ増えている。

ぼくは4歳と2歳の男の子を育てる、共働き・2児のパパです。子育て当事者のぼくは、この制度で「支えられる側」にあたるらしい。でも、なぜだろう。素直に「助かる」とは思えませんでした。

この記事では、あの通知の小さな数字から考えた「支え合いの循環」と、お金だけでは埋まらない子育ての孤立について、体験談ベースでお話しします。

支えているのは、僕じゃない人たち

この制度は、子どものいる・いないに関わらず、医療保険に加入しているみんなが、少しずつ負担する形になっています。

つまり、独身の友人も、子どものいない先輩夫婦も、もう子育てを終えた世代も、みんなが、僕たち子育て世帯のために、お金を出してくれているということ。

それを思うと、なんだか、申し訳ないような気持ちになりました。

自分たちが子どもを育てるのは、自分たちで選んだこと。なのに、その負担を、子どもを持たない人にまで担ってもらっている。「支えてもらって当然」なんて、とても思えない。

あの通知の、小さな数字の向こうに、顔も知らないたくさんの人たちがいる。その人たちの負担の上に、僕たちの子育てが、少しだけ楽になる。そう考えると、簡単に「ラッキー」とは言えませんでした。

それでも、支え合いの循環を信じたい

でも、しばらく考えて、こうも思いました。この「支え合い」は、一方通行じゃないはずだ、と。

今は、僕が支えられる側にいます。子どもが小さくて、お金も手もかかる時期だから。でも、その子どもたちは、いつか大きくなる。そして、働いて、税金を納めて、今度は誰かを支える側になる。

僕を支えてくれている、子どものいない誰か。その人が歳を重ねたとき、僕の子どもたちが納めたものが、めぐりめぐって、その人を支えるかもしれない。そういう、長い長い循環の中に、僕たちはいます。

だとしたら、僕が今できるのは、後ろめたさを抱えることじゃない。子どもたちを、ちゃんと育てること。いつか誰かを支えられる大人に育てること。それが、支えてもらったことへの、いちばんの返し方なんじゃないか。

そう思えたら、あの小さな負担の数字が、少しだけ、あたたかいものに見えてきました。

お金だけでは埋まらない「子育ての孤立」

ただ、それでも、心の片隅にひとつだけ引っかかることがありました。

お金が動くことで、子育て世帯の暮らしは、たしかに少し楽になります。児童手当や、いろんな給付。それは本当にありがたい。でも、僕が子育てで感じる「しんどさ」の正体は、お金だけじゃない気がするのです。

夜、ワンオペで子どもがぐずって、どうにもならないとき。妻とすれ違って、家の中がギスギスするとき。相談できる相手が近くにいなくて、ひとりで抱え込むとき。

そのしんどさは、給付金では埋まりません。

核家族で、ご近所付き合いも減って、親も遠くにいる。困ったときに「どうしたの?」と声をかけてくれる人が、すぐそばにいない。その孤立感こそが、今の子育ての、いちばんしんどい部分なんじゃないか。そしてそれは、お金では買えないものです。

本当の支え合いは、制度の外にある

制度は、支え合いの「入口」だと思います。

社会全体で、子育て世帯にお金をまわす。その仕組みができたことは、大きな一歩です。子どものいない人まで負担してくれる、その連帯には、心から感謝しています。

でも、それだけでは、たぶん完成しません。

本当の支え合いは、もっと手前の、日常の中にあります。泣いている子のそばに、黙っていてくれる友達。「早朝の公園がいいよ」と教えてくれる、近所の親。しんどい夜に、「わかるよ」と言ってくれる誰か。

そういう、お金の動かない「気にかけ合い」こそが、孤立を埋める、本当の支え合いなんじゃないでしょうか。

制度が、支え合いの入口だとしたら。その先を作るのは、僕たち一人ひとりの、小さな声かけなのかもしれません。

支えてもらう側になった今だからこそ、思います。もらうだけじゃなくて、僕も、誰かを気にかける側でいたい。お金じゃない何かで、そばにいる誰かを支えられる人でいたい。それが、この循環に、僕なりに参加するということなんだと思います。

あなたにとって「支えられた」と感じるのは、どんなときですか?

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