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子育てに正解はない?「叱る」と「見守る」で迷った夜、西野亮廣と又吉直樹の父に学んだこと【2児のパパ体験談】

yutaromaru111
7月6日
読了時間: 4分

「こら!」と叱るべきか、それとも見守るべきか。子どもの行動を前に、一瞬フリーズしてしまった経験はありませんか?ネットには「子どもの表現を止めるな」という記事もあれば、「ダメなことはちゃんと叱るべき」という記事もある。読めば読むほど、どっちが正解かわからなくなる——。この記事は、そんな悩みを抱える2児のパパが、西野亮廣さんと又吉直樹さん、二人の芸人の「正反対の父親」の話から気づいたことを綴った体験談です。

壁にクレヨン。「こら」と言いかけて止まった夜

夕食のあと、息子がクレヨンで壁に絵を描いていた。

「こら、壁はダメだろ」と言いかけて、止まった。

この前、ネットで「子どもの表現を止めるな」という記事を読んだばかりだった。でもその一方で、「ダメなことはちゃんと叱るべき」という記事も読んだ。

(どっちなんだ)

結局、中途半端に「次は紙にしようね」とだけ言った。息子は「うん」と気のない返事をした。

その夜、また考えてしまった。あれでよかったのか。叱るべきだったのか、見守るべきだったのか。正解が、わからない。

そんなとき、二人の芸人の父親の話を読んだ。

西野亮廣の父は叱らず、又吉直樹の父は水を差した

一人は西野亮廣さんの父。幼い西野さんが道路にチョークで落書きをして、近所の人が怒鳴り込んできた。両親は揃って謝罪した。西野さんは絶対に叱られると覚悟した。ところが翌日、父親が大量のコピー用紙を持ってきて、「こっちの方が描きやすいぞ」と渡した。

もう一人は又吉直樹さんの父。沖縄の宴会で、6歳の又吉さんが踊ってウケた。人を喜ばせる楽しさを初めて知った瞬間、父はこう言った。

「お前、調子にのるなよ」

正反対だった。でも、二人とも立派に育った。

(え、どっちも正解なの?)

正反対の育て方でも、子は育つ

西野さんの父は、叱らずに、別の方向へ静かに誘導した。又吉さんの父は、ウケて喜ぶ息子に、あえて水を差した。

やっていることは、まるで逆だ。

もし「正解の子育て」が一つだけ存在するなら、どちらかは間違っていることになる。でも、西野亮廣さんは絵本作家として大成し、又吉直樹さんは芥川賞作家になった。二人とも、それぞれの道で花を咲かせた。

ということは、「正解の育て方」なんて、ないのかもしれない。

壁に絵を描いた息子に、叱るのが正解か、見守るのが正解か。ずっとそれを探していたけれど、探していたものは、最初から存在しなかったのかもしれない。

明日からできるのは、「正解はどっちか」と探すのをやめてみること。西野さんの父のやり方も、又吉さんの父のやり方も、どちらも「あり」だと知るだけで、肩の力が少し抜ける気がする。

共通していたのは、「ちゃんと見ていた」こと

正反対の二人の父親に、共通点があるとしたら?

どちらも、子どもをちゃんと見ていた。

西野さんの父は、息子が落書きを「やめたくない」ほど好きなことを見抜いていた。だから、やめさせるのではなく、描ける場所を用意した。又吉さんの父は、息子が調子に乗りやすい性格だと見抜いていた。だから、あえて釘を刺した。

やり方は逆でも、根っこは同じだった。「この子はどういう子か」を、ちゃんと見ていた。

自分はどうだろう?壁に絵を描いた息子を見て、考えていたのは「ネットにどう書いてあったか」だった。息子そのものを、見ていなかった。

大切なのは「正解」を見るのをやめて、目の前の子どもを見ること。この子は今、何が楽しいのか?どういう性格なのか?そこを見れば、叱るか見守るかは、自然と決まってくる気がする。

「向き合った」記憶は、形を変えて残る

又吉さんは、父の「調子にのるなよ」を、軽いトラウマだったと語っている。

正直、これは「いい話」とは言いにくい。父の一言で、感情を出せなくなった、という側面もある。

でも、その抑えた表現が、あの独特の文体になり、芥川賞につながった。父の言葉は、傷でもあり、財産でもあった。

子育てに「完璧な正解」はない。

西野さんの父のように愛をうまく渡せる日もあれば、又吉さんの父のように、よかれと思った一言が子どもを傷つける日もある。それでも、向き合った事実は残る。子どもの中で、形を変えながら、残り続ける。

大事なのは、傷つけないことじゃなくて、向き合い続けることなのかもしれない。間違えても、また向き合えばいい。

明日からできるのは、「完璧な親」を目指すのをやめること。間違える前提で、それでも目の前の子に向き合い続けると、決めること。それだけでいい。

まとめ:正解のない子育てで、できることは一つだけ

壁の絵を、結局そのまま一日残しておいた。

翌朝、息子が「これ、家族なんだよ」と教えてくれた。パパ、ママ、自分、弟。四人が手をつないでいた。

(そうか、家族か)

叱るべきだったのか、見守るべきだったのか。正解はまだわからない。でも、あの絵をちゃんと見て、話を聞けたことだけは、間違いじゃなかった気がする。

正解のない子育てで、できることは、たぶん一つだけ。ちゃんと、向き合うこと。

あなたは今日、子どものことを、どれくらい見ていましたか?

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