シャトレーゼのアップルパイで兄弟ゲンカ|「べたべたするから、いらない!」と2歳に断られた4歳
わが家は、4歳の長男と2歳の次男の男兄弟。
ママと長男が二人で出かけた日の帰り。
「おーち(次男)、喜ぶかな?」
長男がそんなことを話しながら、次男の大好きなシャトレーゼのアップルパイを買ってきてくれた。
家に着くと、長男はうれしそうに袋を開けた。
「おーちの好きなアップルパイ、買ってきたよ〜。どーぞ」
自分が食べるためではない。弟を喜ばせたくて選んだアップルパイだった。
ところが、、、
差し出されたアップルパイに触れた次男は、ひと言。
「べたべたするから、いらない!」
まさかの拒否。
長男の顔が、みるみる曇っていく。
「うぅ……」
目には、涙がたまった。そして、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
弟が喜ぶ顔を想像していたのだろう。「ありがとう」と言って、おいしそうに食べてくれると思っていたのかもしれない。
その期待が、目の前で行き場をなくしてしまった。
どちらの気持ちを守ればいいのだろう
こういうとき、親としては迷う。
「せっかく買ってきてくれたんだから、少し食べたら?」
次男にそう言いたくなる。一方で、食べたくないものを無理に食べさせるのも違う。
長男には「お兄ちゃんなんだから、そんなことで怒らないの」と言いそうになる。
でも、それでは長男の悲しさも、次男の「べたべたするのが嫌」という感覚も、どちらも置いていかれてしまう。
誰が正しいのか。誰に謝らせるのか。どうすれば早く泣きやんでくれるのか。
親はつい、答えを急いでしまう。
けれど、この日は少しだけ、二人の続きを見ていた。
涙のあとから、怒りが出てきた
泣いていた長男の悲しさは、やがて怒りに変わった。
「もう、おーちは食べなくていい!!ぼくが食べる!」
泣きながら怒り、次男の前からアップルパイを取り上げた。
弟のために選んだ。喜んでくれると思った。でも、受け取ってもらえなかった。
大人でも、寂しい。
怒っているように見える子どもの中に、言葉にできない悲しさが隠れていることがある。
「べたべたしているねえ」
長男はアップルパイを自分で食べようとした。
その瞬間だった。
指先で表面に触れた長男が、目を丸くして言った。
「べたべたしているねえ」
悟ったような、驚いたような顔だった。
本当にべたべたしている。
次男は、意地悪で断ったわけではなかった。お兄ちゃんの気持ちを拒んだわけでもなかった。
ただ、べたべたするのが嫌だった。
それを長男は、説明されたのではなく、自分の指で知った。
一瞬、部屋の空気が止まった。
そして長男が笑った。
次男は最初、「えっ?」という顔で兄を見ていたけれど、すぐに一緒になって笑い出した。
少し前まで、涙と怒りでいっぱいだったのに。
僕も妻も笑った。
もし最初に僕が「弟にそんな言い方をしない」と叱っていたら。もし次男に「せっかく買ってきてくれたんだから食べなさい」と迫っていたら。
この「べたべたしているねえ」には、たどり着かなかったかもしれない。
ちゃんとした親でいようとしすぎなくてもいい
子どもが泣いていると、早く泣きやませたくなる。
兄弟がぶつかると、公平に裁かなければと思う。人前ならなおさら、「きちんとしつけなきゃ」という気持ちも出てくる。
でも、親が答えを出さなかったからこそ、子ども同士で見つけられることがある。
もちろん、危ないことや誰かを傷つける行動は止める必要がある。
それでも、すべてのすれ違いを親が解決しなくていい。
すぐに教えず、待つ。それぞれの気持ちを、ながめてみる。
その数秒の余白の中で、子どもは相手の世界に触れるのかもしれない。
長男は、泣いて、怒って、アップルパイを取り上げた。決してお手本のような展開ではない。
それでも最後には、自分で触って、弟の言葉の意味を知った。次男もまた、そんな兄のひと言に笑った。
親がまとめなくても、家族の空気は変わっていく。
アップルパイのべたべたが、兄弟の間にあった小さなすれ違いを、そっと溶かしてくれた。
あなたが最近、子どもの続きを待てたのは、どんな瞬間ですか?
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