「ちゃんと自分と向き合ってる?」でチクッとした人へ|妻を見て気づいたこと
「自分の人生に向き合ってこなかった」
「ちゃんと自分と向き合ってる?」
こういう言葉を聞くと、少し胸がチクッとしませんか。
そして、向き合えていない自分を、なんとなくせめたくなる。
でも最近、ちょっと違うんじゃないかと思うようになった。
それって、向き合ってこなかったんじゃなくて、向き合う時間を取る余裕がなかっただけなんじゃないか。
自分のことを後回しにしている人
そう思ったきっかけは、妻を見ていたことだった。
うちの妻は、家事も育児も仕事も、毎日全力。
朝は誰よりも早く動き出して、ごはんをつくって、子どもたちを着替えさせて、保育園の準備をして、送っていく。
仕事を終えたら、迎えに行って、夕飯をつくって、風呂に入れて、歯をみがかせて、寝かしつける。
ずっと、家族のことを考えている。
自分のことを、後回しにしてでも。
もしこんな人が「私は自分の人生に向き合ってこなかった」と言ったとしたら、ぼくは全力で、待った、と言いたい。
誰かのために生きた時間も、自分の人生だ
だって、妻はずっと「誰かの人生」に、真剣に向き合ってきたから。
子どもたちの成長、体調、機嫌。ぼくの仕事の状況。家族全体の空気。
それを見て、考えて、動いてきた。
「自分の人生に向き合ってこなかった」んじゃなくて、「誰かのために全力で生きてきた」。
そしてそれは、十分すぎるくらい、自分の人生を生きているということだ。
誰のために時間を使うかを選ぶこと自体が、その人の人生だから。
毎日ヘトヘトになりながら家族のために動いている人を見ていると、本当にそう思う。
チクッとした時点で、もう向き合っている
「自分と向き合えてないかも」と焦る人は、実はちゃんと向き合っている。
だって、焦るということは、自分の人生について考えているということだから。
本当に向き合っていない人は、そもそもチクッとしない。そういう言葉を聞いても、素通りする。
だから、この記事を読んで「うっ」と思った人は、その時点でもう大丈夫。
「向き合う」は、反省することじゃない
「自分の人生に向き合う」と聞くと、身構えてしまう。
これまでを反省しなきゃいけない。何かを変えなきゃいけない。そんな空気がある。
でも、たぶんそこじゃない。
これまでの生き方を否定することじゃなくて、自分の心を静かに見つめる時間を持つこと。
それが「向き合う」ということだ。
仕事、家庭、子育て、周りの期待。無我夢中で走り続けていると、立ち止まる時間を取るのは、本当に難しい。
でも、こうやって「自分の人生って……」と考えたその時点で、もう始まっている。
向き合うのに、遅いなんてない。
立ち止まるための、たったひとつの質問
もし少しだけ時間が取れたら、これを考えてみてほしい。
最近、心から笑ったのはどんなときでしたか。
そのとき、そばにいたのは誰でしたか。
その答えのなかに、自分が本当に大切にしたい人生が、ある気がする。
わざわざ探しに行かなくても、たぶん、もうすでに手元にある。
家族に丁寧に、仕事に真剣に、自分の人生に向き合う
これは、カゾクキカクのテーマにしている言葉。
家族も、仕事も、自分も。どれかひとつを切り捨てるんじゃなくて、それぞれを丁寧に見つめて、バランスを取りながら生きていく。
そういう生き方をする大人が増えたら、それを見ている子どもたちは、きっとこう思うはずだ。
「大人って、楽しそうだな」
「早く大人になりたいな」
子どもは、親の説教じゃなくて、親の生きている姿を見ている。
自分の人生に向き合うとは、自分をせめることでも、完ぺきを目指すことでもない。
「今までよく頑張ってきたね」と、自分に声をかけてあげること。
最近、心から笑ったのはどんなときでしたか。
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