あばれる君を見たのは一瞬だった|2歳が「あそんだ」と報告した大須の縁日
子どもがパパと遊ぶときより、明らかに目が輝く相手がいる。
うちの4歳長男には、I君という存在。
長男より2つ年上の男の子で、不定期に一緒に遊ぶ、おともだち。長男からすると、お兄ちゃんみたいな存在らしい。
「I君と遊ぶよ」と言った瞬間の、あの顔。前日から「あしたIくんとあそぶんだよね?」と何度も確認してくる、あの感じ。
うん、パパと遊ぶを超えてくるね、I君。
まあ、そういうものだ。2つ上のお兄ちゃんに、パパは勝てない。
子育ての相談ができる友人がいる
I君のパパは、ぼくの大学時代からの友人だ。しかも、現役の保育士さん。
一緒に遊んでいると、単純に楽しいのはもちろんなのだけど、子どもとの関わり方が、いちいち勉強になる。
声のかけ方、待つタイミング、ケンカへの入り方。プロは違うな、と毎回思う。
つまり、パパにとっても、息子たちにとっても、とってもありがたい存在。
子どもが行きたがる場所の見つけ方
この日も、また遊ぼうかー、という話になった。
行き先を探していたら、名古屋の大須で縁日が開かれているのを見つけた。
さすが大須。ゲストに、タレントのあばれる君が来るらしい。
「あばれる君、来るらしいよ!」
これは効いた。
あばれる君は、ポケモンの番組に出ている。長男もI君も、ポケモン大好き。
「会いたい!」
ということで、はるばる大須まで一緒に遊びに行くことになった。
目当てに会えなくても、子どもは満足する
結果から言うと、あばれる君を見られたのは、ほんの一瞬だけ。
でも、まったく問題なかった。
縁日なので、スーパーボールすくいがあり、宝物探しがあり、屋台がある。
そして何より、大好きなI君と一日過ごせた。
子どもたちは、最後まで満足そうだった。
そしてこの間、ママは家でひとりになれている。これも、地味に大きい。
親でも保育園でもない、第三の居場所
こういう日を過ごすたびに思うことがある。
パパとママ。保育園の先生や友達。それ以外のコミュニティって、本当に大切だ。
家族は、いちばん濃い関係。保育園は、同い年の子と、先生がいる場所。
2つ上のお兄ちゃんは、そのどちらでもない。
親みたいに世話を焼いてくれるわけじゃない。同い年みたいに対等でもない。
ちょっと上の存在。あこがれて、真似したくなる相手。この立ち位置は、親には絶対になれない。
そして大人側にも、同じことが言える。
友人であり保育士である相手と、子育ての話ができる。これは、夫婦だけで抱えているより、確実に良い。
子育ては、家の中だけでは回らない。
子どもの記憶は、想定通りに残らない
家に帰って、2歳の次男と、留守番をしていたママが話していた。
「今日は誰と遊んだのー?」
「あばれるくん」
「え?!」
いや、違うだろ。
遊んでない。見ただけ。一瞬。
次男の中では、完全に「あばれる君と遊んだ日」として記録されたらしい。
子どもの記憶は、大人の想定通りには残らない。
そして、遊びに連れて行ったかいがあったのかどうかも、よくわからない。
でも、次男が満面の笑みで「あばれるくん」と報告していたので、まあ、成功としよう。
I君と、I君のパパには、感謝しかない。
お子さんにとって、親や先生以外に、どんな大切な人がいますか?
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